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先生/保護者の皆様へ
第一章 電卓の歴史を学ぶ!物知り神様の山
第二章
第三章
第四章
第五章
【第五章】机にのる計算機の登場
1961年には、イギリスのサムロック・コンプトメーター社(しゃ)という会社(かいしゃ)が、リレーの代わりに真空管を使うことで、さらに小型化した電子計算機「アニタ」を発表しました。電子部品のおかげで机(つくえ)の上にのるまでに小さくなったので、その後この計算機は電子式卓上計算機(でんししきたくじょうけいさんき)=「電卓(でんたく)」とよばれるようになります。
1947年には、アメリカのW・ショックレーによってトランジスタが発明されていました。このトランジスタという大発明はその後、リレーや真空管などにかわる電卓(でんたく)の頭脳(ずのう)として使われるようになりました。トランジスタを使うことによって計算機は、計算を一気に速くし、ボディも同じく机(つくえ)にのるほど小さくなり、さらに騒音(そうおん)をなくすことにも成功しました。ボタンに反応(はんのう)するスピードは10 万分の1秒と、リレーにくらべてなんと1000倍の速さでした。
トランジスタを使った最初の電卓は、1964年に日本で生まれました。
そしてトランジスタよりも、さらにかしこい頭脳(ずのう)をもつIC(アイシー)LSI(エルエスアイ)が開発されると、電卓(でんたく)はさらに小さくなっていきました。やがて、電卓をつくる会社同士(かいしゃどうし)が、値段(ねだん)や、小ささを競いあうようになりました。しかし、それでも電卓はまだまだ一般(いっぱん)の家庭には手の届(とど)かない、高価(こうか)なものでした。
そこで14-A型を世に送り出したカシオは「ひとりが1台持てる電卓(でんたく)を開発すれば、生活がもっと便利になる」と考えました。そして1972年、当時は3万円〜5万円くらいだった電卓を、日本全国をアッとおどろかせる12,800円という値段(ねだん)で発売しました。個人用電卓(こじんようでんたく)「カシオミニ」の誕生(たんじょう)です。
「カシオミニ」シリーズはLSI(エルエスアイ)を使い、さらにそのころ使われていた電卓の4分の1以下の小ささで、販売数(はんばいすう)1,000万台以上の爆発的(ばくはつてき)ヒットを記録しました。これをきっかけに、電卓はだれでもが便利に使える日常生活用具(にちじょうせいかつようぐ)となったのです。
当時、いろいろな会社(かいしゃ)が電卓(でんたく)をつくったため、LSI(エルエスアイ)がとてもたくさん必要となりました。このことが、LSIをつくる産業を拡大(かくだい)させ、現在(げんざい)の使いやすいパソコンや携帯電話(けいたいでんわ)などの開発につながったと言われています。
歴史の話はここまでじゃ。まだまだこの島を楽しんでいっておくれ!
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