|
|
|
社会(しゃかい)が発達し、外国との取引や税金(ぜいきん)をおさめる決まりができると、お金の出し入れを管理したり、カレンダーや、船で海をわたるための計算表などをつくったりするために、むずかしい計算がたくさん必要になってきました。そこで人々(ひとびと)は、計算を自動でしてくれる計算機を夢(ゆめ)みて開発に取り組むようになったのです。 |
そして1642年、世界ではじめての計算機が、フランスの数学者のパスカルによって発明されました。それは歯車で動く機械式計算機です。しかしこれはたし算しかできず、しかも、パスカル以外に修理(しゅうり)できる人がいませんでした。また、つくるまでにお金がすごくかかり、計算機を仕事以外で必要とする人も少なかったので、広まることはありませんでした。しかしパスカルはそれにくじけることなく、世を去ることになる39歳(さい)まで50種類の計算機をつくり、何度も試作を続けました。 |
その後、1694年にドイツの哲学者(てつがくしゃ)だったライプニッツが、パスカルの計算機をもとに、ハンドルを手で回して歯車を動かし、たし算やかけ算をする計算機を発明しました。この計算機の仕組みは20世紀なかばまで使われた手回し式計算機(てまわししきけいさんき)に受けつがれていきました。ライプニッツの計算機はじつに3世紀にわたって活かされ続けたのです。
|
1800年代になると、イギリスで数学の先生をしていたチャールズ・バベッジが、大きなけた数の数字をあつかう天文学の計算を楽にするため、歯車を使った機械式計算機の「階差機関」(かいさきかん)を、そして後にもっと高度な計算ができる「解析機関」(かいせききかん)という計算機を考え出しました。解析機関は計算の手順を覚えたり(記憶装置・きおくそうち)、計算をしたり(演算装置・えんざんそうち)、計算結果を印刷したりすることができるように設計(せっけい)されていました。バベッジはこの計算機の完成を見ないまま、80歳(さい)で生涯(しょうがい)を終えましたが、「解析機関」は、現在(げんざい)のコンピューターのもととなる考え方で、そのアイディアは今でもたくさんの人たちに尊敬(そんけい)され続けています。 |
|
|
|
|