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アメリカで「ENIAC(エニアック)」が完成した1946年、逓信省(ていしんしょう)で働いていた樫尾俊雄(かしおとしお)は、「これからの世の中には計算機がなくてはならないものになる」と考えました。さっそく俊雄は機械づくりの名人だった、兄の忠雄(ただお)と力をあわせ、計算機の開発に取り組むことにしました。俊雄のアイディアをもとに、忠雄がかたちにし、ついに1957年に「14-A型」という計算機の開発に成功しました。 |
それはリレーを使った電気だけで動く、はじめての小型計算機でした。ボタンに反応(はんのう)するスピードも1ミリ秒とおどろくほどの速さです。
このころ、ほとんどの日本の会社(かいしゃ)が使っていた、モーターでハンドルを回す計算機は、騒音(そうおん)やしん動が大きく、ボタンに反応するスピードも秒単位と、とてもおそかったのです。「14-A型」はこれらの問題をすべて解決(かいけつ)した、とても画期的な計算機でした。 |
「14-A型」の発表会には、それをききつけた世界中のたくさんの人々が、仕組みや働きを知るために集まりました。翌年(よくねん)の東京都がひらいた発明展(はつめいてん)では、科学技術庁長官賞(かがくぎじゅつちょうちょうかんしょう)を受賞するなど、「14-A型」は、科学者や人々(ひとびと)の注目を一手に集めたのでした。 |
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