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第一章 電卓の歴史を学ぶ!物知り神様の山
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【第三章】はじめて電気で動いた計算機
20世紀に入り科学の技術(ぎじゅつ)が急速に発展(はってん)し、気圧(きあつ)風力を計算したり、飛行機のスピードや強さを調べたりするために、むずかしくて量の多い計算を、速く正確(せいかく)にできる計算機が求められるようになりました。
1939年、ドイツの技術者(ぎじゅつしゃ)だったコンラート・ツーゼは、飛行機の丈夫(じょうぶ)さをはかるために「Z1」という機械式計算機をつくりました。続いて開発した「Z2」では計算をする部分(演算装置・えんざんそうち)に、歯車ではなくリレーという部品を使いました。そして1941年に、ぜんぶ電気だけで動く「Z3」という計算機を、じっさいに動かすことに成功しました。「Z3」は計算を覚える部分(記憶装置・きおくそうち)にもリレーを取り入れたことで、計算した答えを使って、自動で計算する(プログラム制御・ぷろぐらむせいぎょ)ことができました。ツーゼは、「コンピューターの父」とよばれるバベッジのアイディアをじっさいにかたちにした最初の人と言われています。
同じころ、ハーバード大学の大学院生だったハワード・エイケンが、アメリカ海軍とIBM社(アイビーエムしゃ)の技術者(ぎじゅつしゃ)たちと、3000個(こ)のリレーを使った“Harvard Mark I (ハ−バード・マークワン)”という計算機を完成させました。これは、すべて自動で計算できるものの、速度がまだまだおそく、たし算に1秒以上、かけ算には約6秒、わり算にはその倍かかりました。また幅(はば)15メートル以上、高さ2.5メートル、重さはなんと5トンちかくもありました。
ENIAC(エニャック)そして、1946年、アメリカのペンシルバニア大学のモークリーとエッカートが「ENIAC(エニアック)」という計算機を開発しました。この計算機はリレーのかわりに18,000本の真空管という電子部品を使った高さ2.5メートル、奥行き(おくゆき)0.9メートル、幅(はば)24メートル、総重量(そうじゅうりょう)は30トンもの巨大計算機(きょだいけいさんき)です。その消費電力はなんと150キロワット。たし算をわずか0.8ミリ秒、時間のかかるわり算でも24ミリ秒という、おどろくべきスピードで計算することができました。ENIAC発表の場では「977,367を5000回かける」という問題をまたたく間に計算し、集まったたくさんの人々(ひとびと)をおどろかせました。
しかし、モークリ−やエッカートなどのすばらしい発明は、まだ計算機を研究している人々のものでしかありませんでした。そのころ、会社(かいしゃ)などでは、ほとんどの人が手でハンドルを回し、歯車で計算をする計算機を使っていました。そのあとモーターでハンドル回す計算機が登場し、少しは楽になりましたが、計算はとてもおそく、音やしん動の大きさもなやみの種だったのです。
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